人や自分を「ジャッジする」こと。
ここには多分、自分の『正義』があって、
自分の正義に合致するモノはOK!合致しないモノは‟ジャッジ!”して、
批判する、抑え込む、変えようとする。
私たちは、自分の思考や経験があるから、
仕事、子育て、パートナーシップ、ご近所さんにさえ、
多少なりと、皆このジャッジ癖があるんだと思うし、
自分より人を優先し、人の目を気にする人ほど、
人をジャッジしたがるという面もあるとか言うけれど、
もちろん私も、時々やらかします。
でも、手放していこうと思っています。
「いこうと思う」っていうのは、まだ、たまに出るから。
でも「あ、私、今、またジャッジしようとしている」と思うようしています。
手放している人ほど、自由で破天荒で、活き活きとオモシロく生きているように感じているから。私もそうありたい。
「あんなの絶対おかしい💢」ってイラっとすることもある😆
けれど、膨らまさない。そこに注力しない。
「ジャッジする」という思考は、
結構なエネルギーを使うくせに、
決して、イイ気分になるわけではなくて、
変なアドレナリンは出るけれど、
幸せな気分とは逆で、とても無駄なものなんじゃないかな、
って、本当は、私たちは分かっています。
激動の毎日を送る中で、そんなことに構っている暇はなくて、
「私はどうしたい?」
って自分の心地よさに集中して寄り添っているだけで、
心地よい環境ができて、
いつの間にか、望む通りの世界が見えてくるし、
大切な人を幸せにできたりする。
例えそれが、一見、
非常識でも、大それたことでも、
人から見たらどうでもいいことでも。
今ある「立場」や「経験」や「固定概念」を超えて、
人目にビビらず、「やります!」って踏み出す。
だから、人にジャッジしている場合じゃない。
毒は吐いてもいいけれど、
人は変えられないって事、魂がすり減っちゃうだけだって事は、
これまで私たち沢山経験して来たはず。
イラっとくるんじゃなくてオモシロがる。
自分のダメダメさ加減さえも、オモシロがりたい。
「最近ジャッジしている暇ないなー」って、
さっき考えてて、でも良い方向にジャンジャン進んでいる体感があって。
私たちはどんな思考の中で生きて行くかも選べる。
あーだこーだ、あいつはどうだって、
ジャッジは余計なお世話だわ!と自分にも言い聞かせつつ(笑)
写真は関係ないけれど、
この前、東京に行ったときに新橋で手に入れた
『切腹最中(せっぷくもなか)』。
やっちまったときとかに、お詫びに行くときの手土産に、最適(笑)
『こんな私でかたじけない!!!』(笑)

#ジャッジやめよう
#人のことは放っておく
#自分に集中
#切腹最中
#無防備に楽しむ
株式会社Heart Best
河野靖美
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